TOEIC990点突破のGAME購入

無料体験Game

お問い合わせ

推薦状 個別指導 今日のおみくじ
1998年開業|20年以上の実績|医学部・英語・資格に対応したAI×ゲーム学習

あの塾長は、気にしない|小説で学ぶ、人間関係と心理学 第7話

あの塾長は、気にしない

── 小説で学ぶ、人間関係と心理学 第4話


俺は、ある塾長にすごく可愛がられていた。

最高のバイト講師だと褒めてくれた。まだ学生なのに、多くの部下をまとめる役割まで任せてくれた。俺は嬉しかった。あの人に認められることが、当時の俺の全部だった。

その塾長には、気に入らない塾があった。

後から出てきた、小さな塾。だが、やたらと結果を出す。塾長はそれが面白くないらしかった。飲みの席で、ぽつりと名前が出るだけだ。「あそこ、生意気でな」。それだけ。

俺は、いつものように、提案した。

「潜り込みましょうか」

俺は高学歴の学生だった。だから、どこの塾にも入り放題だった。募集をかけていない塾でも、大学名を言えば話を聞いてくれる。それに、バイトの応募書類なんて、職歴を書かなければ何もわからない。誰が誰の下にいたかなんて、調べようがない。

俺は、その塾に潜り込んだ。

最初の数ヶ月は、ただの真面目な講師をやった。よく働き、よく笑い、よく質問した。安心させるためだ。急ぐ必要はない。信用は、あとで使うための貯金だから。

そして、貯まった頃に、始めた。

まず、講師からだ。

その塾は、雰囲気がよかった。それが最初の印象だった。講師同士が笑いながら教材の話をしていて、塾長も混ざって喋っている。悪くない職場だと、正直、思った。

だから、そこから壊した。

やり方は簡単だ。誰にでもある、ほんの小さな引っかかりを見つけて、そこに息を吹きかけるだけでいい。「塾長、あの講師のことをこう言ってましたよ」。それだけだ。

プライドの高い人間ほど、よく燃えた。

なぜなら、その手の人間は、塾長に直接「俺の悪口を言いましたか」とは聞けないからだ。聞いた時点で、自分が気にしていると認めることになる。だから聞かない。聞かないまま、疑いだけが残る。

自信のない人間も、同じだった。誤解を解くきっかけを、自分では作れない。確かめるのが怖いから、確かめない。そして黙って、少しずつ離れていく。

俺は、何もしていない。ただ、言葉を置いただけだ。あとは全員が、自分のプライドと不安で、勝手に仲を壊していった。

雰囲気のいい職場ほど、崩すのは楽なのだ。誰も、そんなことが起きているとは思っていないから。

次は、生徒だ。

一人ひとりに、そっと吹き込む。「塾長、この前きみのこと、こんなふうに言ってたよ」。真実に少しの嘘を混ぜる。実際にあった会話の、順番を入れ替えるだけでいい。それだけで、生徒の顔から、塾長への信頼がひとつずつ剥がれていく。

面白いほど、効いた。子供は、大人が自分をどう見ているかに、いちばん敏感だからだ。

そして、あるとき、運が向いた。

塾長の車が故障した。修理に出したが、納車まで時間がかかるという。「代車を頼もうかな」と塾長がこぼしたとき、俺はすかさず言った。

「送り迎えさせていただきます」

塾長は、喜んだ。俺を、タクシー代わりに使うようになった。

これが、俺の狙いだった。

車の中では、人は油断する。俺は塾長の秘書のようになった。事務仕事を手伝い、買い物にもついていき、雑談の相手をした。塾の内側が、どんどん見えてくる。誰が信用されていて、誰が使えないと思われているか。全部、車の中で聞けた。

そして、頃合いを見て、提案した。

「新しいコースの案内を、生徒さんにダイレクトメールで出しませんか」

これが、俺のいちばん得意な手だった。

なぜなら、発送を任されれば、名簿が手に入るからだ。

塾長は、俺に手紙を預けた。生徒全員の、住所が書かれた封筒の束を。俺のことを、信じきっていた。

その住所を使って、俺は二つのことをした。ひとつは、塾長が生徒の悪口を言っているという話を、家庭に届くようにすること。もうひとつは、俺が世話になっている塾の名前で、ダイレクトメールを送ることだ。

それだけでいい。

この塾の塾長は、生徒がいつのまにか辞めていく現象に直面するだろう。しかも、辞めた生徒は「裏切られた」と思って出ていく。恨みを持って出ていくから、戻ってこない。ちょうどいい。

俺は、可愛がってくれる塾長からも報酬をもらい、潰そうとしている塾からも給料をもらっていた。懐は潤っていた。

我ながら、うまくやっていると思った。

やることが少なくなってきたので、最後の仕上げにかかった。

生徒をもっと減らすために──わざと、不潔な格好で授業に出ることにした。何日も洗っていない服を着て、口の中も手入れせずに、生徒の前に立つ。

これが、実によく効くのだ。子供は、大人の不快さを言葉にできない。ただ「あの塾、なんかいやだ」と思って、離れていく。理由を説明できないから、塾長には対策のしようがない。

本部ではやらない。支店だけでやる。各支店を回りながら、少しずつ仕込んでいく。塾長は何も知らないまま、生徒が減っていく。気づいたときには、もう手遅れだ。

──そう、思っていた。

俺の誤算は、塾長が、いきなり支店に来たことだった。

聞いていなかった。予定にもなかった。前触れもなく、ふらりと来た。

そして、その場で全部知った。俺が支店の授業にいつも遅れてきていることを、生徒から聞いたらしい。俺はうまく嘘をついていたつもりだった。時間も、理由も、完璧に整えていたつもりだった。

だが、生徒は、見ていたのだ。

当然、怒られた。俺は、塾を辞めることになった。

だが、それだけだった。

手紙のことは、誰にも知られていない。名簿のことも、悪口のことも、バレていない。ひとつの塾をクビになったところで、痛くも痒くもなかった。なぜなら俺には、帰る場所があったからだ。本命の塾のバイトが、ちゃんと残っている。

大学だって、普通に卒業できると思っていた。

──俺が通っていた学部は、少し特殊だった。

五年になると、病院実習がある。そして、そのときに、学生の素行調査が行われる。

俺は、それを軽く見ていた。

塾長のことを、俺は「地方の小さな塾の男」だと思っていた。だが、あの人は長年、この地域から合格者を出し続けていた。だから、各学部に教え子がいた。そのまま研究員になった者もいれば、重要なポストに就いた者もいた。そしてその保護者たちもいる。

俺が、それを知ったのは、全部が終わってからだ。

調査が入った。そして、俺は退学になった。

表向きの理由は、成績不良だった。実際、その通りだった。塾を掛け持ちして、車の送り迎えをして、名簿をいじって、支店を回って──そんな生活で、医学の勉強ができるわけがない。俺は自分の人生の時間を、まるごと他人を潰すことに使っていた。

だが、当時の俺は、そうは思わなかった。

やられた、と思った。あいつの人脈にやられたのだ、と。

県庁にも、市役所にも、病院にも、あいつの教え子と、その親がいた。俺が何かをすれば、どこからか話が伝わる。何度も、そうだった。あれだけ嫌がらせをしたのに、あの塾長には、どこからともなく助けが入る。誰かが必ず、あいつに何かを教えている。

俺は、それを陰謀だと思っていた。

──今なら、わかる。

誰も、何もしていなかったのだ。

あの塾長は、誰にも頼んでいない。「あいつを調べてくれ」なんて、一度も言っていない。ただ、あの人に人生を変えてもらった人間が、この地域に、山ほどいただけだ。

E判定から医学部に入れてもらった子。塾をやめかけて、引き戻してもらった子。その親。その親の職場の同僚。

そういう人たちは、あの人の名前が妙な文脈で出てきたら、そりゃあ気になる。気になったら、話す。「先生、こんな話を聞いたんですけど」。ただ、それだけだ。

命令も、圧力も、根回しも、いらない。恩を受けた人間は、頼まれなくても動く。

それが、人間社会だったのだ。

俺は、そこに気づくのが、遅すぎた。

──元の塾に戻ろうとした。

だが、あの塾も、なくなっていた。

俺を可愛がってくれた塾長も、その頃には潰れていた。評判が落ちて、生徒が消えて、看板だけが残ったらしい。俺は、その理由を人づてに聞いて、笑うしかなかった。あの人も、俺と同じことをやっていたのだ。俺は、それを手伝っていただけだった。

俺の収入源は、消えた。輝かしい未来も、消えた。

今、俺は、名前を変えてSNSをやっている。誰にも本当のことは言わない。くだらないバイトをしながら、日々をやり過ごしている。

同期は、もう医者になっている。

あの塾長は、たぶん、今も普通に働いている。生徒の成績を上げて、犬の散歩をして、何も変わらずにいるのだろう。俺のことなんて、覚えてもいないはずだ。

俺は、あの人の人生に、傷ひとつつけられなかった。

つけたのは、自分にだけだった。

──ひとつだけ、俺には救いがある。

あの塾長を陥れようとしていた講師は、俺だけではなかった。

それを、俺は知っている。誰なのかも、知っている。

俺は退学になって、落ちぶれて、名前を変えて生きている。だが、あいつらは、まだあそこにいるのかもしれない。今も笑って、教材の話をして、塾長の隣に座っているのかもしれない。

俺だけが、馬鹿だったわけじゃない。

そう思うことだけが、今の俺の、たったひとつの救いなのだ。

(了)


この物語から学ぶこと ── ヒロ先生の解説

1. 「いちばんよく働く新人」に、少しだけ目を留めてください。

潜入する人は、最初から怪しく振る舞いません。むしろ、誰よりも真面目に働きます。よく笑い、よく質問し、雑用を引き受ける。信用は、あとで使うための貯金だからです。もちろん、よく働く人のほとんどは、ただ良い人です。疑えという話ではありません。ただ「入って数ヶ月で、やけに距離を詰めてくる人」がいたら、その速度だけは覚えておいてください。

2. 「送迎します」「手伝います」は、親切の顔をしたアクセス要求のことがあります。

この物語の分岐点は、悪口でも名簿でもなく、車でした。送り迎えを引き受けた瞬間、彼は塾長の時間と会話と行動範囲を手に入れています。人は、車の中と、疲れているときに、いちばん喋ってしまうからです。困っているときに差し出される手ほど、ありがたく、そして無防備に握ってしまうもの。断る必要はありませんが、「なぜこの人は、ここまでしてくれるのか」は一度だけ考えてください。

3. 名簿は、絶対に人に触らせないでください。

これがこの物語で、いちばん実害の大きい部分です。生徒の住所、保護者の連絡先、顧客リスト。発送作業や事務を任せるということは、その全部を渡すということです。信用の問題ではなく、設計の問題として、名簿に触れる人間は最小限にしてください。個人情報の管理は、経営者の法的責任でもあります。「良い子だから大丈夫」で預けた束が、この物語では武器になりました。

4. 生徒(部下・顧客)への「先生がこう言ってたよ」に注意。

分断は、上からではなく横から起きます。本人には何も言わず、周りに少しずつ吹き込む。真実に、少しだけ嘘を混ぜる。子供は、自分がどう見られているかにいちばん敏感だから、よく効きます。もし生徒や部下が急によそよそしくなったら、その子を責める前に、間に誰が立っているかを見てください。

5. 「雰囲気のいい職場」ほど、崩されやすいことがあります。

この男が最初に壊したのは、講師同士の関係でした。そして彼のやり方には、残酷な急所があります。プライドの高い人は「私の悪口を言いましたか」と本人に聞けません。聞いた時点で、気にしていると認めることになるからです。自信のない人は、確かめるのが怖くて確かめません。つまり──確認しない限り、誤解は永久に解けないのです。もし誰かが急に離れていったら、あなたから聞いてください。「何かあった?」の一言が、この手口への最大の防御になります。

6. 抜き打ちで、現場に立ってください。

この男を止めたのは、監視カメラでも、告発でもありませんでした。塾長が、予告なく支店に来たこと。それだけです。報告書は加工できますが、現場の空気は加工できません。そして──気づいたのは、大人ではなく生徒でした。現場にいる人は、いつでも全部見ています。

7. 恩を受けた人は、頼まれなくても動きます。

この物語のいちばん大事な部分です。塾長は、誰にも頼んでいません。人脈を使った覚えもありません。ただ、その地域に「あの人のおかげで人生が変わった人」が、たくさんいただけです。だから、妙な話が耳に入れば、誰かが教えてくれる。命令も、根回しも、圧力もいりません。実績とは、放っておいても味方が増えていく仕組みのことです。攻撃してくる人は、これを陰謀だと思います。違います。ただの、積み重ねです。

8. 加害に使った時間は、自分の人生から引かれています。

彼が失ったのは、塾のバイトではありません。大学と、資格と、なるはずだった自分です。人を潰すために塾を掛け持ちして、車を運転して、名簿をいじっていた時間は、そのまま彼が勉強しなかった時間でした。誰かを憎むことは、無料ではありません。いちばん高い代金を払うのは、いつも、憎んでいる側です。

9. そして──「一人だけ」とは限りません。

この物語の最後の一行が、いちばん冷たいところです。嫌がらせがばれたのは彼だけで、他にも悪者はまだいた。一人見つけて安心するのは、少し早いのです。ただ、怯える必要はありません。この塾長は、誰が敵かを突き止めることに時間を使いませんでした。ただ、現場に立ち、生徒の成績を上げ続けただけです。結果として、生徒が教えてくれ、卒業生が教えてくれ、地域が教えてくれた。全員を疑うより、味方が勝手に増える生き方をする方が、はるかに安全で、はるかに楽です。

もし今、誰かがあなたの周りで、不自然に親切だったり、不自然に距離を詰めてきたりしたら。追い出す必要はありません。ただ、名簿と、鍵と、あなたの時間だけは、渡さないでください。そして、あなたの仕事を、普通に続けてください。あなたが誠実に積み上げたものが、いつか、あなたの知らないところであなたを守ります。


※この物語はフィクションです。実在の人物・団体等とは一切関係ありません。

人間関係・ビジネスのお悩み、二択のご相談は 人間関係コンサルティング・アカデミア へ。一人で戦わせません。

関連記事

推薦状

ボストン大学教授・東大医学部博士による推薦状

個別指導

今日のおみくじ