小説で学ぶ、人間関係と心理学 第2話「あの子のせいじゃなかった」
小説で学ぶ、人間関係と心理学
第2話「あの子のせいじゃなかった」
その子は、悪くなかった。
最初に言っておく。私は、分かっていた。分かっていて、やった。それがこの話の全部だ。
私は三十四歳、保育士として十二年働いていた。ひまわり組の担任。子どもは好きだ。少なくとも、好きなつもりだった。この仕事に就いた理由も、たしかにそこにあったはずだ。
問題は、親のほうだった。
その父親は、地元でそこそこ知られた会社の社長だった。悪い人ではない——と、周りは言う。実際、気前はよかった。クラス全員分の学習道具を寄付してくれたこともある。「子どもたちに使ってください」と、当たり前のような顔で置いていく。園長は満面の笑みで礼を言っていた。
ただ、機嫌が悪いと、人が変わった。
連絡帳の一行が気に入らないと言って、三十分。行事の段取りが気に入らないと言って、一時間。こちらが何を言っても、謝っても、話は終わらない。終わらせる権利は、いつも向こうにあった。受話器の向こうで怒鳴り声が続く間、私はただ、時計の針を見ていた。
園長は、いつも同じことを言った。
「お父さんも忙しいから。先生、うまくやってね」
うまくやって。それだけだ。私を守る人は、どこにもいなかった。
震える手で連絡帳を書き直しながら、私は思うようになった。
——なぜ、私だけが。
そのとき、視界に入ったのだ。
あの子が。
彼女は四歳で、父親と同じ目をしていた。人懐こくて、よく笑う子だった。「せんせい」と呼びながら、走ってくる子だった。
私はその日、笑って迎えた。ちゃんと笑えたと思う。
いま思えば、あの瞬間に、私の中で決まっていたのだろう。
父親に手は出せない。園長も助けてくれない。だから——いちばん弱くて、いちばん安全な場所へ。あの男の、いちばん大切なものへ。
書けることは多くない。書きたくもない。
ただ、保育士という仕事は、その気になれば、どこまでも正当な理由をつけられる。叱ることは仕事だ。注意することは仕事だ。順番を決めるのも、役を決めるのも、席を決めるのも、全部、保育士の裁量の中にある。「教育です」と言えば、たいていのことは通ってしまう。
私はその日から、あの子にだけ、少し厳しくした。
少しだけ。誰にも咎められない範囲で。他の子には流すことを、あの子にだけは流さなかった。他の子には笑って許すことを、あの子にだけは許さなかった。理由は毎回、正しかった。正しい理由なら、いくらでも作れた。
四歳の子どもは、大人の悪意という概念を持っていない。だから彼女は、こう考えるしかない。
——私が、できないから。
ここから先が、私には誤算だった。
彼女は、萎縮しなかったのだ。
いや、正確に言えば、萎縮はした。顔色を窺うようにもなった。でも、彼女がそこから選んだ行動は、私の予想とまるで違った。
あの子は、できるようになるまで、やめなかった。
叱られるたびに、彼女は歯を食いしばって、その課題に食らいついた。折り紙も、着替えも、片付けも。他の子が三回でやめることを、彼女は二十回やった。そして、できるようになってしまう。四歳の子が、私の悪意を「乗り越えるべき課題」に変換して、勝手に強くなっていく。
私は、悔しかった。
自分でも意味が分からないほど、悔しかった。潰そうとしているのに、伸びる。追い詰めているのに、育つ。私が振り下ろすものが、全部この子の栄養になっていく。
だから、私は一線を越えた。
プールの日だった。あの子は水が怖かった。顔をつけることさえできない子だった。
私は、その子だけが取り残されるように仕組んだ。どうやったかは書かない。書けば、同じことをする人間が出てくるから。ただ、そこで起きたことは、指導ではなかった。教育でもなかった。私がずっと父親に向けたかったものを、四歳の子の上で振り下ろしただけだ。
あの子は、むせて、泣いた。
やった、と思った。
——翌週、彼女は泳いでいた。
私は、プールサイドで立ち尽くしていた。
水が怖くて、顔もつけられなかった子が、水面を進んでいた。ぎこちなく、必死に、それでも確かに、自分の力で。周りの子が「すごい」と歓声を上げていた。彼女は照れくさそうに笑っていた。あの、走ってくる時と同じ顔で。
込み上げてきたのは、罪悪感ではなかった。
怒りだった。
なぜ。なぜ、なんで。私はあなたを沈めたのに。なぜあなたは、そこから泳ぎ方を持って上がってくるの。なぜ私が与えたものが、全部あなたの力になるの。なぜ——なぜあなたは、私が思ったとおりに壊れてくれないの。
自分が何を怒っているのか、その意味を考えることは、しなかった。考えたら、戻れなくなる場所に自分が立っていることを、認めなければならないから。
終わりは、あっけなかった。
ある朝、あの子が門の前で、動かなくなった。行きたくない、と言ったらしい。それだけだ。四歳の子が、行きたくないと言った。それだけのことが、すべてを壊した。
その日、母親が園に来た。父親ではなく、母親だった。彼女は静かだった。怒鳴りもしなければ、園長を呼びつけもしなかった。ただ、こう言った。
「あの子が、自分ができない子だから叱られるんだと言っています。ずっとそう思っていたそうです。……先生、うちの子、何ができていなかったんでしょうか」
私は、答えられなかった。
母親は、それ以上何も言わなかった。ただ、他の保育士たちに、静かに話を聞いて回った。
そして、私は知ることになる。見ていた人は、いたのだ。
「あの子にだけ厳しい気がする」——同僚の何人かが、ずっと前から気づいていた。誰も私に言わなかっただけだ。園長にも言わなかった。言えば波風が立つから。でも、母親が聞いて回った瞬間、その全員が、正直に答えた。
一人ひとりは小さな証言だ。でも、並べられると、輪郭を持つ。
三か月後、私は職を失った。
園は私を守らなかった。当然だ。守る理由がどこにある。園長は最後まで「うまくやってね」の人だった。あの人は最初から、誰も守っていなかっただけなのだと、そのとき分かった。
保育士の世界は狭い。理由は書かれなくても、噂は歩く。私は同じ仕事に戻れなかった。十二年の資格と経験は、一枚の紙切れになった。
その後の私の人生を、長く書くつもりはない。
条件の悪い仕事を転々とした。惨めだと思いながら働いた。惨めだと思う自分を、誰にも言えなかった。数年前に体を壊してからは、働ける時間も減った。治療にはお金がかかる。払えるかどうかは、いつも微妙なところにある。
一人になると、いまだに、あの子の泣き声が聞こえる。
そして先日、新聞を見た。
地方版の、小さな記事だった。写真の中に、見覚えのある目があった。
——あの子だった。
一流大学を卒業し、自分でビジネスを立ち上げ、地元の講演会で何度も話をしているという。記事の中で彼女は、笑っていた。四歳のときと同じ、あの顔で。
読み終えて、しばらく動けなかった。
許せない、と思った。まだ、そう思う自分がいた。
でも、その感情の下から、もっと恐ろしいものが上がってきた。
——もし、私があの子をいじめていなかったら。
あの子は、ただ普通に育っていたかもしれない。普通に学校へ行って、普通に暮らして、それはそれで幸せな人生だっただろう。歯を食いしばる癖も、二十回やり直す粘りも、水の中から泳ぎ方を持って上がってくる強さも——持たずに済んだかもしれない。
私が振り下ろしたものを、あの子は全部、力に変えてしまった。
私は、あの子を壊せなかった。
それどころか、あの子を鍛えてしまったのだ。
そして私は、私自身を壊すために、人生の全部を使った。
やり直しは、できない。あの子に謝る資格も、たぶんない。謝罪はいつだって、される側のためではなく、する側の楽になるためのものだから。
私は、あの子の人生の、最初の障害物だった。
それだけだった。
その子は、悪くなかった。
——私は、分かっていた。
(第2話・了)
この物語から学べること
理不尽な叱責の多くは、叱られた側ではなく、叱る側の問題です。
- 弱い立場の人への攻撃は、たいてい「別の誰かに言い返せなかった鬱憤」の付け替えです。あなたが叱られた本当の理由は、あなたの中にはありません。あなたは、たまたま、いちばん近くにいて、いちばん安全な標的だっただけです。
- 立場のある人の加害は、「指導」「教育」「あなたのため」という正しい言葉をまといます。理由が正しく聞こえることは、加害でない証明にはなりません。特定の一人にだけ基準が厳しいなら、それは指導ではありません。
- 子どもは「大人の悪意」を理解できません。だから理不尽に叱られると、自分を責めます。お子さんが「行きたくない」と言ったとき、それは最大の危険信号です。 理由を問い詰めるより、まず信じて、その場から離してください。
- 見ている人は、必ずいます。声を上げるのが怖くて黙っているだけです。誰かが最初の一人になった瞬間、証言は集まります。
- そして——理不尽に潰されかけた人が、そこから力を得ることがあります。それは加害者のおかげでは、決してありません。あなたが、やめなかったからです。 その手柄は、全部あなたのものです。
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