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1998年開業|20年以上の実績|医学部・英語・資格に対応したAI×ゲーム学習

この男自身が十四金だった。外側は金色、中身は安物。

小説で学ぶ、人間関係と心理学

第5話「十四金」

俺は、顔がいい。

これは自慢ではなく、事実の確認だ。歯医者としての腕の話ではない。顔の話だ。

患者に誘われることは、珍しくなかった。診療が終わってから連絡先を渡してくる女もいたし、待合室でわざわざ着替えてくる女もいた。俺はそれを、当然のこととして受け取っていた。二十代の頃から、そういう世界に住んでいたから。

顔は、俺の資本だった。

——資本というのは、減るものだと、あの頃の俺は知らなかった。


彼女は、長いつき合いの患者だった。

金を持っている女だった。指にも、耳にも、首にも、いつも何かが光っていた。趣味なのだろう。診療台に横になると、それが天井の灯りを反射して、俺の目に入る。

昔は、俺のことが好きなんじゃないかと思っていた。

たぶん、勘違いではなかったと思う。あの頃は、たしかに彼女の目に、そういう色があった。

でも、ある時期から、なくなった。

——歳を取ると、魅力が減るのか?

彼女は俺を、ただの歯医者として見るようになった。予約して、来て、治療を受けて、金を払って、帰る。それだけ。世間話はする。でも、そこに何もない。

俺は、そのことを、認めたくなかった。

いや、誘えば来る、と思っていた。まだ俺は、そういう位置にいるはずだ、と。


俺には、金が要った。

この歯科医院は、借金で開けた。数字を見るのが怖い夜がある。それに、この歳になれば、マンションの一つも欲しい。俺の同期は、みんな持っている。

そして目の前には、宝石を身につけた女が、毎回横になりに来る。

——一晩、泊まりに来させればいい。

それだけで済む話だ、と思った。あれだけ持っているのだ。一つ二つ減ったところで、すぐには気づかない。俺は儲かる。誰も損をしない。

そういう計算が、頭の中で完成するのに、三十秒もかからなかった。

自分が何を考えたのか、その意味を考えることは、しなかった。考えたら、戻れなくなる場所に自分が立っていることを、認めなければならないから。


一度目は、あっさりだった。

「今晩、泊まっていかない?」

彼女は、俺の顔を見た。

——なに言ってんの、この人。

そういう顔だった。そして「帰るよ」と言って、普通に帰った。

普通に、帰ったのだ。

怒りもしない。笑いもしない。気まずくもならない。翌月、彼女はまた予約を取って、何事もなかったように診療台に横になった。

俺のほうが、悔しかった。

彼女は、何も気にしていなかった。俺の誘いは、彼女の中で、出来事にすらなっていなかった。


二度目のチャンスは、向こうからやってきた。

彼女が、泥棒に入られたと言うのだ。

これだ、と思った。

泥棒に入られた家の人間なら——何かがなくなっても、俺だとは思わないだろう。あれもあの時か、と考えるだろう。完璧じゃないか。

「そんな家に帰るの、怖くない? 今晩は、うちに」

彼女は、また断った。

「動物たちがいるから、帰らなきゃ」

——それが、理由だった。

犬と猫が待っているから。それだけの理由で、俺は断られた。この顔で、誘っているのに。

俺は、ペットに負けたのだ。

俺の全人生の資本が、犬と猫より下に置かれた。しかも彼女は、そのことに気づいてすらいない。彼女にとっては、俺を選ぶか動物を選ぶかという勝負ですらなかった。ただ、家に帰る用事があった。それだけだ。

俺は、この女を許せなくなった。


計画を、変えた。

宝石を盗るのは、もういい。もっと確実で、もっと合法的に見えて、もっと長く続く方法がある。

俺は保険診療を避けたかった。あれは記録が残るし、金にならない。だから彼女にこう言った。

「保険を使うような治療は、あなたからはお金を取りませんよ。無料でいい」

無料と言われて、保険を使う人間はいない。当然、その治療は保険の外に出る。記録は、残らない。

そして、こう付け足した。

「その代わり、何かプレゼントでもいただければ」

彼女は「悪いから」と言った。

俺は、知っていた。この女は、必ず、良いものを持ってくる。何かをもらったら、必ず釣り合う以上を返してくる。そういう女だ。俺はその性質を、値段のついた蛇口として使うことにした。


やがて彼女が、ゴールドのインレーを希望した。

歯に入れる、金の詰め物だ。金属アレルギーも出にくく、体になじむ。悪い選択ではない。

俺は、相場より安い金額を提示した。

彼女は喜んだ。

そして俺は、その金を、十八金では作らなかった。

十四金。あるいは、それ以下。

理由は、単純だ。質の悪い金は、なじまない。すき間ができる。そこから虫歯になる。虫歯になれば、彼女はまた俺のところに来る。俺はまた治療して、また金を取る。

彼女は、俺の年金になるはずだった。

俺は、彼女の口の中に、いくつも、いくつも、それを入れた。

診療台の上で、彼女は目を閉じていた。俺の腕を信用して、口を開けていた。あの女が、俺に対して唯一持っていた信頼が、それだった。

俺はそこに、偽物を詰めた。


誤算は、俺自身が仕込んだものだった。

安く作ったものは、合わない。

かみ合わせが、悪いのだ。当たり前だ。手をかけていないのだから。

彼女は、その違和感を、放置しなかった。

たったそれだけのことだ。噛んだときに、なんとなくおかしい。それを「こんなものか」と思わずに、別の歯医者に、確かめに行った。

その医院で、レントゲンを撮られた。

——虫歯が、写った。

俺が入れた金の下で、俺が計画したとおりに、虫歯が育っていた。俺が「また来させるため」に仕込んだ設計は、正確に機能していた。ただ一つ、彼女が俺のところに戻ってこなかっただけだ。

外した金は、彼女の手元に残った。

そして彼女は、それを質屋に持っていった。

金は、質屋に持ち込めば、鑑定してくれる。ただそれだけのことだ。あの女は、金の好きな女だった。宝石を身につけて生きてきた女だ。手元に金の塊が落ちてきたら、価値を確かめに行く。それは、あの女にとって、呼吸のようなものだった。

俺は、そんなことも計算に入れていなかった。

十八金と、聞かされていたはずのもの。

鑑定の結果は、そうではなかった。

一つではない。彼女の口の中には、いくつも、いくつも入っていた。


彼女は、静かだった。

怒鳴り込んでこなかった。電話もなかった。

代わりに、内容証明が届いた。

そして——保健所に、連絡が行った。

監査が入った。指導が入った。

俺は、書類を出し、説明を求められ、頭を下げた。彼女は、俺の前に一度も現れなかった。ただ、正しい窓口に、正しい順序で、事実を届けただけだった。

あの女は、最後まで、俺と戦わなかった。

俺の相手をしてくれる価値さえ、俺にはなかったのだ。


彼女が、まあまあ名の知れたインフルエンサーだと知ったのは、そのあとだ。

俺がやっていたことは、広がった。

そして、それだけでは終わらなかった。俺が患者を誘っていたという話が、どこからか出てきた。一つではなかった。俺が忘れていた分も、覚えていない分も、全部出てきた。

患者が、減り始めた。

いま、この医院には、最新の機器がない。道具も最低ランクのものだ。ジルコニアを削ることさえできない設備だから、できる治療にも限りがある。金がないから設備が入らず、設備がないから患者が来ず、患者が来ないから金がない。

回らなくなった歯車は、そういうふうに回る。


マンションは、手に入れた。

親の家を売らせた。足りない分は、いま結婚している女とのローンで組んだ。

俺は、金のために結婚した。

そして、その女は、俺の顔を心配している。浮気していないか、いつも探っている。どこで誰と会っていたのか、なぜ帰りが遅いのか、あの患者は誰なのか。

うるさい、と思う。

だが、離婚はできない。ローンがある。この部屋は、俺一人では一円も払えない。親もうるさい。家を売らせたのだから、当然だ。嫁もうるさい。金のために結婚したのだから、当然だ。

そこへ、予定納税が来る。

去年の分の税金を、今年の稼ぎから前払いさせられる仕組みだ。稼ぎが落ちても、待ってはくれない。患者が減っているのに、去年の売上を基準にした金額が、決まった月に、決まった額だけ、口座から消えていく。

そして俺は、その年に、車を買った。

顔のいい歯医者が、みすぼらしい車には乗れない。俺の資本を守るための、必要な投資のはずだった。

いま、それが首を絞めている。

ローンと、予定納税と、車の支払いが、毎月同じ場所で交差する。

こんな話は、誰にもできない。

医院を持ち、マンションを持ち、いい車に乗っている男が、金がないとは言えない。俺が二十年かけて作った「そう見える」という財産が、いま、俺の口を塞いでいる。

外側を保つために、内側を全部売った。

そういうことだった。


時々、あの女のことを考える。

彼女は、たぶんいまも、ペットと暮らしているのだろう。俺のことなど、思い出しもせずに。

あの夜、彼女が俺より動物を選んだのは、俺を軽んじたからではなかったのだと、いまなら分かる。

彼女には、帰る場所があった。

俺にはなかった。だから俺は、あの女の宝石を盗ろうとした。あの女の信頼を、口の中で偽物に替えた。

俺が本当に欲しかったのは、宝石でも金でもなかったのかもしれない。

夜中に、待っていてくれる誰かがいる——そういう人生のほうだった。

俺は、顔がいい。

外側は、金色に光っている。

中身が何でできているかは、削ってみるまで、誰にも分からない。

——俺自身が、十四金だった。

(第5話・了)


この物語から学べること

「違和感」を放置しないでください。それが、あなたを守ります。

  • 物語の彼女を救ったのは、勇気でも賢さでもありません。噛んだときの、ほんの少しの違和感を「こんなものか」で済ませなかった、それだけです。体は、頭より先に気づきます。おかしいと感じたら、確かめてください。
  • セカンドオピニオンは、裏切りではありません。 長いつき合いの専門家ほど、一度、外の目を入れてください。あなたを大事にする人は、それを嫌がりません。嫌がる人がいたら、それが答えです。
  • 「あなたからはお金を取りません」「その代わりプレゼントで」——正規の取引を避けたがる人には、必ず理由があります。 。無料や特別扱いは、たいてい、もっと高くつきます。
  • 自由診療では、使用素材の証明書や純度を確認してください。 金属の詰め物なら、外れたものを質屋に持ち込めば鑑定してもらえます。「相場より安い」には、必ず理由があります。安さの理由を説明できない専門家からは、離れてください。
  • 断ることに、罪悪感を持たないでください。 物語の彼女が守られたのは、二回とも、普通に断って普通に帰ったからです。「悪いかな」と一度でも思って応じていたら、話は全く違うものになっていました。あなたの「普通の断り方」は、そういう人にとっては完敗です。
  • そして、戦わないでください。 彼女は怒鳴り込みませんでした。内容証明を送り、保健所に事実を届けただけです。正しい窓口に、正しい順序で。感情でぶつかるより、それが最も強く、最も安全です。
  • 偽物は、時間が暴きます。外側だけを磨いてきた人は、外側が減り始めたとき、何も残りません。あなたが手を汚す必要は、ありません。

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